雨のち晴れ

子育て・考えたことやたわいのない日常を綴った日記です

どうにもならない人生の中に、ほんの少しの幸せを。

洗濯用洗剤やシャンプー、ラップやポリ袋とといった生活消耗品は切らしてしまってから買い足すのは面倒なので、いつもエブリデーロープライスのホームセンターで1ヶ月分をまとめ買いしている。

 

それで、昨日は朝からホームセンターに行ったのだけど、買いものが終わって、外の出店のたい焼き屋のクリームチーズたい焼きが美味しいのでちょこっと立ち寄り、ウキウキと焼き上がるのを待っていた。

そうしたら、嫌なものを見てしまったのだった。

 

駐車場からおじいさんがおばあさんを大声で怒鳴りつけながら歩いて来る。おじいさんは滑舌が悪く、何を怒鳴っているのかよく聞き取れないが、かん高い声でバカヤロー、バカかお前は、ノロノロしてんじゃないとか何とか、ギャーギャーわめいている。カート置き場に着いてもまだしつこくわめきたてるので警備員さんまで出てきたほどだ。

 

あの爺さん、はじめは認知症が入っているのではないかとも思ったが、車を運転して来たわけだし、そういう感じだけでもなさそうだ。

 

やがて、老夫婦は見物人が見守るなか、店内に消えて行った。びっこを引いている婆さんにカートを押させて。

 

怒鳴られている婆さんのほうは、まるで表情がなかった。そして体全体から不幸が滲み出ていた。私の心の解説者が実況する。おそらく、婆さんは何十年とあの怒鳴り声を聞き続けてきたのでしょう。そうすると、人というのは、ああいう表情になるわけです…。

 

まるで自分を見ているようだった。

 

爺さんのような、あの手の人間は、謝ったとしても、口答えしたとしても、ますます興奮するのでタチが悪い。どうせ何をどうやったとしても、次から次へと嫌味や文句を言ったり、キレる材料を見つけてくるのだ。

この人は何故怒っているんだろうと模索したり、怒らせないようにとあれこれ先回りして動いたり、あんなふうに人前でキレる旦那を恥ずかしいと感じたりする時期を乗り越えると、空虚なあきらめの感情だけが残る。幸せとはほど遠い、どうにもならない自分の人生をあきらめるようになる。

 

なんともやりきれない、噂の現場だった。

 

この前、職場の利用者さんのAさんがおやつの時間にバームクーヘンを食べながら、美味しい、美味しいと涙をこぼしていた。涙が出るほど美味しいねえ!と皆で笑った。

 

Aさんは低所得の息子と二人で団地に暮らしている。食事は少しの米と味噌汁のみ。週3回のデーサービス以外に外に出ることはない。家では何もせずに過ごす。「たんだ居る」と彼女は東北なまりで話す。テレビも見ないの?と聞くと、「○○(息子)に電気代払えって言われっから見ねえ」と笑って答える。

 


クリームチーズたい焼きをフライパンにのせる。から焼きして皮をパリっとさせて皿にのせる。

コーヒーをすする。

だけど、私はまだあきらめるには若いな、もう少し頑張らなくちゃいけないよな。と思いながらたい焼きを割る。

 

爺さんに怒鳴られまくったあの婆さんに、美味しいお茶とお菓子の時間がありますように。

 

殺伐とした生活の中に、ほんの一瞬でいいから、幸せな時間がありますように。

 

 


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