雨のち晴れ

子育て・考えたことやたわいのない日常を綴った日記です

落ち着かない4月と、最近の世の中に対して思う事。

毎年の事だけど、どうも4月って落ち着かない。

各学年から集金の嵐。今月はPTA会費も引き落とされるんだったわ。次男の修学旅行代金も納めなきゃ。5月に控えている自動車税、固定資産税。あれ!中学生って給食費上がるんだわ…そりゃ、食べるもんね。仕方ないか。等々。

夫、オレの靴下の中が砂だらけ!子供の洗濯物と一緒に洗うなとキレる…どうもすみませんでしたね。トイレ掃除しろよ。あんたホントに家事が嫌いだよな。…一番汚す人は誰だよ!って思う。

 

そんなこんなで4日前に餃子を焼いていている時火傷をしてしまった。フライパンの蓋を開けて、置くところがないと焦りつつ、変な置き方をしたら手の甲に触ってしまった。この歳で火傷ってイタイ。多分、シミになって残るなあ、と思っいる。

ちなみに餃子には自信がある。今は試行錯誤の上、一定の作り方に落ち着いている。白菜を使うのが一番気に入っているのだが、今回の春キャベツも良かった。ここでレシピをご紹介出来ないのが残念だ。何しろ調味料がテキトーなもんで。ポイントは、肉をクリーム状になるまで練ること。餃子に限らず全てのお肉は常温に戻してから焼くとしっとりした肉が食べられると思っている。

 

ところで、最近、ギスギスしていて本当に嫌な世の中だと感じている。ブログの中でさえも、ちょっと言いたい事を言うと袋叩きにあい、過去記事を非公開にせざるを得ないような事態をみると残念でならない。

 

何日か前の朝日新聞の記事から、グッとくるものがあったので、残しておこうと思う。

【折々のことば】鷲田 清一

理解し合えるはずだという前提に立つと、少しでも理解出来ないことがあった時に、事態はうまくいかなくなる。

                                                          村上龍

対話は、他人と同じく考え、同じ気持ちになるためになされると考えると、いづれかが理解を断念したとき、対話は閉じられる。理解できなくてあたりまえ、むしろ、語りあえば語りあうほど相手と自分との違いがより微細に見えてくる、それを対話だと考えれば、理解しえずとも共にいられる場所は少し広がる。

小説「ラブ&ポップ」から。

 

 そもそも、私達は違うモノの見方をするのだ。ブログの中だろうと、実際の人間関係であろうと。

目の前にいるあなたとこの私が同じ考えではないからといって、それは大した事ではない。あたりまえのことなのだ。それを大人気なく誹謗中傷したり、影でコソコソと悪口を言ったりするのは、全くもって幼稚な行為だといえる。そんな大人の在り方が子供達の世界にまで反映し、いじめという醜い形で現れているのではないか。

 

自分の考えを躊躇なく言う事ができ、それに対して、「そうなんだ~、でも私はこう考えるけどね」と相手が言う。そこで、「ああ、そういう視点もあったのね」と言える風通しの良い社会であってほしい。“あの人は○○な人だから。あの人は違うから"とシャッターを閉めずに。

 

ご存知のとおり、私は日本を動かす重要人物ではない。ただのおばさんだ。でも、忘れてならないのは、身近な場面で言ったりやったりする、ほんのささいな行為でさえも、今の世の中を形作る駒の一つに変わりはないということ。

気がついたらとんでもないことになっていて、「こんな世の中に誰がした?!」と若者に問われたら、「申し訳ありません、私です。」と答えるしかないのだ。

 

社会を形成する責任ある大人の一人だという事を自覚して行動しようとの思いを強くしている2017春。