雨のち晴れ

子育て・考えたことやたわいのない日常を綴った日記です

自分はどうありたいのかという事を考える時間

下書きのまま、どうにも落としどころがなく放置していた記事です。

もや~っとしたまま書きます。

 

子供達の会話を見聞きしたり、ちいさな揉め事について聞かされた時、“うーん…どう言えば良いものかと困ってしまうような事例が多くなってきた。小さい時のように、「みんなで仲良く遊べばいいじゃないの。」ではとてもすまない。むしろ、もうあいつと関わるはやめろと言いたいくらいだ。

 

特に長男・次男などを見ていると、気の合う友達、お金を使う遊びが大好きな友達、ターゲットを決めていじめて遊ぶのが好きな友達、別に好きでもキライでもない奴、逆にあいつ、スゲー!とリスペクトしている友達など、色々な友達がいる中で、親にどうこう言われずに、自分は友達とどう関わっていくのかということを真剣に考えなきゃいけない時期なのではないかと思っている。それが子供のタイプによっては凄く難しい事で…とても歯痒い思いで見ている。

 

私が気に入らないのは、運の悪いことに次男がまたあのR君と同じクラスになってしまったことだ。観察する限り、次男の気持ちとしては、「Rとは一緒にいても楽しくないので避けているけど、いつもつきまとってくる。だけどクラス変えで力関係が変わって最近はあまり僕に嫌な事を言わなくなってきたから、ちょっと遊んでもいいかな。」といったところか。

 

クラスの中では仕方ないにしても放課後にまでわざわざ示し合わせて遊ぶことはないだろうにと思うのだが、この前はお金も持たずに自転車で数キロ先のショッピングモールまで行き、フードコートでカードゲームをし、今日は今日でおうちにお邪魔してカードゲームをしてきた。懲りずに『斎藤さん』もやってるかもしれない。おー、いやだ。

 

そもそも次男はあまりカードゲームに夢中にならない。カードゲームは頭も使うが、ある程度投資して強いカードを持たなければ勝てない。それ程カードを持っていない次男はなかなか勝てないので面白くないのだろう。適度な負け役として必要とされているのだろうと私はみている。

 

そもそも、R君とは興味も遊び方も違うのだ。低学年の時からそれはもう分かっている事なのだ。付き合うこと事態に無理があるだろうに、なぜついて行こうとするのだろう。

 

4·5年生の頃までは「やる事も終わっていないのに、遊ぶなんてダメ」だとか、「子供がいいようにお金を持って遊ぶんじゃない、お金持って行かなきゃいけないなら、遊ぶのはやめなさい」などと上から言って力で規制していたけど、最近はそんなふうに 言うことに虚しさを感じている。だってもう6年生だ。小さい子じゃあるまいし、R君と約束して帰ってくるということは、次男の選択した結果だとも言えるのだから。

今日も約束をしていると言うので、嫌な顔をしてやったら、

「じゃあ、いいよ。行かないから…」

と簡単に引き下がる。

「行きたいんでしょ?」

とカマをかけたら、ボソッと

「…行きたいに決まってんじゃん…」

と言う。なーんだ、行きたいんじゃない。ダメだ、こりゃ。と思った。ではご自由に。行きたいと思うなら行きなさい。

 昔の人は良く言ったものだ。『類は友を呼ぶ』。つまりあの子はR君と同類なのだ。

友達とは何か。人から信頼される人間とはどういう人なのか。自分はどういう人間でありたいのか。小6ならぱそういう事を考えはじめてもいいだろうに…

 

R君は何を抱えているのだろうと思う。

R君の家は昔から商売をしている家で、お母さんは商売人らしく、とても気さくで口の固い人だ。

R君のお金の出どころはあの店で絶対権力を握るおばあちゃんだ。孫かわいさに、ほら冷たいの買っておいでと店のレジから1000円札を渡すのを見た事がある。R君のお母さんはおばあちゃんの後ろでいつもニコニコしている。お母さんに言わせるとR君はメンタルが弱いけど優しい子。私の印象とはだいぶ違う。見えてないなと思うけど、責める気になれない。あの店の中で絶対権力のおばあちゃんに従い、出戻りの義妹の子供の世話もさせられ、苦労は如何ばかりだろうと思う。

 

以下はもし、次男が私の話を真剣に聞く気があるのなら話したいこと。またお説教が始まったと思うのであれば、意味がないので言わずにいよう。だから多分お蔵入りの話。

 

  皆で仲良く=皆にあわせた言動をするべきだと考える事は、例えば、スポーツ競技や会社だったら、勝つとか、儲けるといった共通の目的がある時は有効だよね。サッカーでは集団行動は大事だよね。でも集団は時々危険な方向に向かうことがあるので気をつけなければいけないんだよ。

集団は皆と同じように考えられない人を排除したり、序列を作りたがる事がある。

本当はあまり気がのらないと思う事でも思考停止。皆に同調して行動してしまうことがあるよね。だってそのほうがラクだし安心だからね。

 

小さい時、よくみんなが持ってるから買ってといったね。だから私はよく言ったでしょ。君が欲しいのではなくて、他の皆が欲しいものを何でうちがお金を出さなくちゃいけないの?

悪い事をして怒ると、だって皆もやってるよ。と言い訳したら、じゃ皆がウンコ食べてたら、アンタも食べるんだね?これもよく言ったよね。

 

皆が遊んでいても、自分は勉強しなきゃいけないなら勉強する。サッカー練したいならサッカー練をする。これからはそういうことが大事になってくるよ。

皆が誰かの心を傷つける楽しい遊びをしていて、自分は違うな、嫌だな、やりたくないなと思うならば、やめろと言おう。あんたの場合、言う勇気がないんだろうから加わらない。関わらない。…それなら出来るでしょ。

 

他人との関係の中で立ち止まって、自分はどう考えるのか、自分はどうありたいのかという事を考える時間は絶対に必要だと思うよ。

皆といる時間も大事だけど、一人で考えて一人で行動することも同じくらい大事だよ。『ぼっち』はむしろカッコイイと私は思う。

 

毎日、毎日友達と遊んでいるけど、楽しそうでいいと思う。友達がたくさんいるというのも素晴らしい事だと思う。ただ、少しの間、落ち着いて一人で考えてもいいのではないかい?ずーっとじゃなくていいから。

 

…届かない。

子育ては悩ましい。あの子にはどういう働きかけが良いのだろうか。深イイ話のマンガでも買って読ませようか…。