昔は分からない事があれば、辞典を引いたり、物知りの祖父や先生に聞いたりしたものだが、今はスマホでチャチャっと検索し解決する。そのかわりに忘れるのも早い。
昔は知らない土地に車で行く前には、地図を頭に入れてから車に乗ったものだが、今はナビに任せているので、帰ってきてもその土地の位置関係が 分からない。
昔は友達の電話番号は暗記していたものだが、今はアドレス登録してあるので、殆ど分からない。
使わない脳みそはサビつくもんだ、いや、加齢によるボケかなど思う昨今、こんな記事を見つけた。
電子メールなどの連絡が日常的になって久しい。多くの企業がインターネット上でやりとりするしくみも用意している。しかし、それに頼りすぎてはいけないと事務用品大手コクヨの研究員、斎藤敦子さんは言う。「本当の知恵は、人と人との生のコミュニケーションのほうがずっと刺激が大きいんです」
その通りだと思った。
理解出来ても身に入らない。行ったのに知らない。いるのにいない。これではどうしようもない。
オリンピックでの日本の成果も、選手間の交流、団結力によるところが大きいという。
特に子供達に問いたい。
決して昔は良かったなどと言うつもりはない。
でも、天気のよい日に友達と集まりゲームをする事で遊んだと言えるのだろうか。今日、友達がどんな顔をして何と言ったのか憶えていますか?
自主学習ノートに“今日はタブレットで算数をやりました”と書き、先生に提出する事に何の意味があるのか。今日、間違えた問題は何ですか?憶えていますか?
大事な事は顔を見て話すこと。例えば、本当に“ごめんなさい”と伝えたいならば、出向いて行ってその口で言わなければ伝わらない。LINEで告ってるようではいつまでも彼女なんて出来ない。また、カンタンに付き合えるようなら別れるのもカンタンだ。
学習とは手を使い足を使い、身につけること。苦労して身につけた事は忘れない。
知恵をつけたければ体を使え。
大事な事はスマホでなく顔に書いてある。
人と人との生のふれあいにこそ本当の幸せがある。
生きる力は生のコミュニケーションから。それを理解した上でスマホを使って欲しい。