雨のち晴れ

子育て・考えたことやたわいのない日常を綴った日記です

5年9ヶ月

東日本大震災津波にあった福島の7才の女の子の遺骨の一部が見つかったという。5年9ヶ月。5年9ヶ月。そんなに長い間、お家に帰れずにいたなんて。

 

あの震災以来、たくさんの人の人生が変わってしまった。

あの日、長男と次男は胃腸炎で揃って幼稚園を休んでいた。

数日後の幼稚園では、ママ達が集まって、

福島原発、爆発したの聞いた?」

放射能大丈夫かな?」

「やだ、布団干して来ちゃった!」

こんな会話をしていたのを憶えている。

卒園式は簡素化され、謝恩会は中止になった。

資材が集まらず、マンションのリフォームが遅れた。

メーカーの倉庫が被災したとの事で、頼んでいた冷蔵庫や洗濯機が届いたのはゴールデンウイークだった。

その春、長男が小学校に入学した。

その春、三男が幼稚園に入園した。

学校や園では毎日、毎日、放射能を測定した。

何か出来る事はないかと、様々なボランティア活動をするママ達、安全な食を考えるママサークルを立ち上げたママもいた。

放射能が心配でノイローゼ気味になり、九州に引越した人もいた。

小学校生活に慣れない長男が毎日下痢をしていた。

少しでもお友達作りになればとスポーツ少年団にいれた。

4年生のときには、仲間はずれにされたからとスポ少を辞めたいと言い出したが、様子をみているうちに、元気を取り戻し辞めるのを辞めた。

5年生くらいから、段々と勉強や運動に自信が持てるようになってきた。

最近では6年生としての貫禄が出てきた。

あれから身長が30cm以上伸びた。

それが、長男の5年9ヶ月。

 

その間、あの女の子はずっとお父さんが見つけてくれるのを待っていたんだと思った。

 

7歳。あの頃、みんなミソっ歯だった。

みんなで大きくなれたらどんなによかったろう。

 

あのお父さんはこれからもまだ見つかってあない遺骨を探しにゆくのだそう。

 

私は、何と言ったらよいのかわからない。

 

でも、生きている子供は一生懸命生きるしかないんだよ。あの子の分も。

 

もし、神様がいるのなら、あの子の幸せを祈ろう。

 

除夜の鐘をききながらこんな事を考えていました。

 

あけましておめでとうございます。