雨のち晴れ

子育て・考えたことやたわいのない日常を綴った日記です

キチンとしている昔の女の人への憧れ

長男のスポ少卒団準備の為、なかなか頭を切り替えられず、どうも書けません。

 卒団式、お食事会、涙と笑いの上映会の為のDVD制作、オマエら真面目に書けよ、監督にも渡すんだからね!の文集制作…まあ、楽しくもありますが。

 

それより、つくづく嫌になっちゃうと思うのは、いくつになってもダメ人間な私です。

家事をやるのに、あ~、面倒臭いと、重い腰を上げて嫌々やり、鏡を見て、ああ、BBA(ババア)、もはや手の施し用無しと半ばあきらめ、適当に手をぬいている…いいえ、そんな事ではダメなんです。いくつになってもキチンとしている人はキチンとやっているんです。このまま、こ汚く年老いていくのはしのびない。いつやるの?今でしょ。いつ変わるの?今でしょう…って意思が弱いんだよなあ、私。頭が痛いし更年期かな。なーんて事をつらつら考えているこの頃です。

 

 そんなルーズな私にとって、暮らしも、仕事も、身なりも振る舞いまでもがキチンとしている女の人というのは、本当に尊敬してしまう。若い子は何もしなくても魅力的なのでそれで良いのだ。問題は、歳を重ねてからどうあるのかという点だ。

 

私には、若い頃から、なぜか惹かれて止まない世代の女の人達がいる。大正生まれ。歳の頃は100歳くらいか。子どもの頃、明治生まれのお婆さんは嫁に厳しく、怖いイメージがあるのでちょっとニガテだった。大正生まれといえば、原節子のようなイメージ。丁寧な言葉使い。オシャレ。モダン。暮らしの手帳の愛読者…

最近は殆ど会えない。

 

 

 そして、最近なぜかしきりに思い出すのは、若葉萌える初夏の日、跨線橋で毎日のようにすれ違った、白い開襟シャツのおばあ様なのでした。

3男出産後、里帰りしていた私は、体が戻ってくると、軽い運動になるし、なにより子供たちが好きな電車をみれるという事で、毎日10分程歩いた所にある跨線橋に足を運ぶようになりました。

子供達が手を振ると、運転手さんが手を振り返してくれたり、たまにピーっと汽笛を鳴らしてくれたりするので、なかなか楽しいのです。また、その跨線橋は鉄道ファンの男の人が集まるスポットでもあり、レアな貨物列車や今はないカシオペアなども見ることが出来たのです。

 

午前中、30分かそこら、子供達が飽きるまで過ごすのですが、私はそこで品の良いお婆さんに会うようになりました。彼女は、毎日跨線橋を渡り、おそらく、ちょっと先にあるスーパーで今日食べる少量の食品を買い、また、跨線橋を渡り家に帰るのでした。あまり頻繁に会うので、私はあのお婆さん、今日も来るかなあ、などとぼんやり考えていたのでした。

 

そのお婆さんは、いつもピキッと糊のきいた開襟シャツにタイトスカートを履いて、少なくなった髪をキチッと後ろにまとめていました。

私は彼女について色々な事を想像しました。どういう暮らしをしてるんだろう?少ししか買ってないようだから、1人暮らしかな?

いつもシャツにアイロンをかけているくらいだから、さぞかし家の中もキチンとしているんだろうなあ。毎日、床を水拭きとかしちゃうのだろうな。どんなキレイな部屋にすんでいるのかな。などと、とりとめもなく。

彼女は年寄りによくありがちな、小さな子供をみて、微笑む、話しかけるなどの行為がありませんでした。だからなおさら私は興味をもったのかもしれません。

私は彼女の後をついていって、どんな家に住んでいるのか確かめたいという衝動にも駆られましたが、そんな自分はちょっとヤバイかなとも思いましたし、子連れなので不可能でした。

 

彼女についての情報は、たったそれだけなのですが、私は自分がお婆さんになった時にどのような暮らしをするかを考えると、ほぼ想像上の、あのお婆さんのような暮らしが理想なのです。

夫は他界。子供は息子だけです。結婚してしまえば、寄り付かないでしょう…寂しくないといったら嘘だけど、それも良しと1人の暮らしを楽しむ。

今日食べるほんの少量の食品を買い、無駄のない、チリ一つない部屋で暮らす。

植木鉢に赤いゼラニウム。たまに来た孫にホットケーキを焼く。そのへんはちょっぴりぐりとぐらの世界。

近所のスーパーへ行くにも、シンプルだけど、キチンとした服、髪。

 

その為には…いつやるの?今でしょ。いつ変わるの?今でしょう。

まずは、病気に負けない体を作らないとなあ。免疫力アップかなあ。ちゃんと運動もしないと…ビリーかなあ。お金も貯めないと…美容院行かなくちゃなあ…

ひとまず、介護の資格をとりました。元気にいつまでも働かなければ。

 

お粗末様でした。