母は茨城の農家の生まれで今年73歳になる。年寄りの世界ではまだまだ若手だ。
ありがたいことに今も元気で、出産後しばらくは何度も手伝いに来てもらい、私の孤独な育児生活の唯一の救いだった。
現在口うるさかった祖父が亡くなり、開放感たっぷりに元気に活動しており、たまに電話しても殆ど家にいない。
子育てに悩んだ時、いつの間にか思い浮かべているのは昔の母の姿だ。母も昔は若かった。
私は母に勉強をみてもらったことはない。
幼稚園の頃、寝る前に絵本を読んでもらったが、たいてい始めの1ページあたりでコックリコックリし始め、寝ぼけて「…園長先生が…むにゃむにゃ…」など言っていた。
ダラダラとロンパールームやポンキッキといったTV番組をいつまでも見ていたけど、怒られなかった。
小学生の頃、勉強しろと言われた記憶もない。記憶にフィルターがかかっていて、少しは言われたのかもしれないけど、多分あまりうるさく言われたことは無い。
友達に影響されて何か習い事をやりたいと言えば、やらせてもらえた。ピアノは長続きしたが、そろばんや英語教室は嫌になってすぐ辞めたくなった。すると母は責めるふうでもなく、いつの間にかチャッチャと辞める手続きをしていた。
進路について何か言われた記憶もない。中学3年の時の大事な三者面談の時は、西田君のお母さんと同じスカートを履いてきてしまい、「もう、やんなっちゃう、やんなっちゃう」とそればかり言って終わったような気がする。
そんな母も祖母に面倒をみてもらった記憶はないという。昔の農家の嫁というのは朝から晩まで働き、子供達の面倒をみるはもっぱら明治生まれの曾祖母の役割だったそうだ。
母は勉強が好きだったらしく、小中学校の通信簿を見たことがあるが、私には眩しすぎる代物だった。でも、当時の農家の親というのは成績にはさして興味が無く、酒の席で思い出したように褒められる程度だったそうだ。
そうえば、いつだか母が“普通の子供というのは好奇心が旺盛で、私のように言われなくても自然と勉強するものだと思っていた"と言っていた事がある。 やはり、私達への子育ては少し失敗したと思っているのかもしれない。
今、私は母とは全然違う子育てをしている。絵本の読み聞かせはそうとうしたし、小さい頃は毎日一緒について勉強した。TVやゲームも決してやりたいようにさせない。
ただ、最近はそれが何?と思ったりする。多分あまり調子がよくないせいだ。上手くいっている人をみて、一時的にそんな気分になっているのかもしれない。
今、私を支えているのは幸せだった幼少時代の思い出だ。あの頃見た風景、沈丁花やユキヤナギの匂い。あの頃宝物だった絵本や折り紙、かわいいシール…
当時はまだ土曜日の午前中は学校があった。半日で帰ってきてからのお昼ごはんとケンちゃんチャコちゃんを見るのが楽しみだった。思い出してあの頃と同じようにお昼にナポリタンやしょうゆラーメン、チャーハンなどを作ったりする。
そういう取るに足らない日常を、私はこれからも忘れずに憶えているのだろう。そしてそれは好きなようにさせてくれた母のおかげだと思っている。
私は子供達が大人になった時そういう子供の頃の幸せな心の風景を残せるだろうか…もしかしたらアレやれ、コレやれ、かたずけろ、そんな風景しか残らなかもしれない。
人にはそれぞれ人生の課題がある。一生懸命勉強して自分の人生を切り開いて行く人生もあれば、経済的に恵まれていて、遊んでいても一生食いっぱくらないであろう人生もある。
うちはお金は残せないよ、その代わり知識とか技術を身につけるために、お金を使うよ。それが君らに残せる財産だ。なあんて上手いこと言ってるけど、はっきり言って土地でも残してくれるほうがありがたいよなあ…。
今度実家に行ったら聞いてみようと思う。
お母さん、子育て中、なーにを考えていたんだろう…