雨のち晴れ

子育て・考えたことやたわいのない日常を綴った日記です

ワダサンの年賀状

会社員時代の先輩にワダサンという人がいる。私より2歳年上だったか、とにかく真面目で情に厚く、面倒見の良い人だ。

 

現在、ワダサンは、海外勤務を経て本社に戻り、人事課長になっている。人事部。まさに適材適所だ。

 

そのワダサンとはもう20年以上、年賀状のやりとりをしている。ワダサンの年賀状は、表に家族全員の連名、裏に子供達の写真と毎年決まっている。

 

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ただ。

ワダサンには本当にさんざんお世話になっておきながら申し訳ないのだけれど、私は、親戚でもない他人に自分の子供の写真を送るのはどうなのだろう。その感覚がよく分からないと思っていた。

 

赤ちゃんの写真はかわいいとは思うけれど、知り合いの子供というだけで、私にとっては会ったこともない子供であり、悪いけれど、ワダサンの2人の息子達の成長には興味がない。

 

 当時子供を持ったことのない私は、ナイフみたいに尖ってそんなふうに思っていた。子供の成長を喜ぶという感情がピンとこなかった。独身女のやっかみとも言える。

 

内心そう思いながらも、毎年の年賀状は続き、ワダサンの息子も年々変化していった。

 

ワダサン家の丸々太った男の赤ちゃんは、歩行器に乗るようになり、数年後には幼稚園に入ったのか、誇らしげに園服を着て立つようになった。しばらくしてその後に生まれた弟君も加わった。

 

私の姓が変わる頃には、年賀状の写真は黄色帽子のお兄ちゃんと仮面ライダーポーズを決めるやんちゃそうな弟君へと変化した。

 

 さらに、「ワダ」という表札の前での兄弟。長いこと古い借家に住んでいたワダサンは、この頃、マイホームを購入したようだった。

 

それからこれはもう10年も前か。学生服姿のお兄ちゃんと活発そうな弟。

 

同じ子供達の写真を10年以上も送られると、意地の悪い私もさすがに親しみが湧く。月日が経つのは早く、あの赤ちゃんがもう中学生かと思うと感慨深く思うようになった。 

 

再び、玄関前での兄弟。くつろいでいるところを写真を撮るからと引っ張り出されたのだろうか、寝癖バッチリの弟君。

 

このあたりから、私はだんだんワダサンの年賀状が面白いと思うようになった。今年の兄弟はどんな様子だろうとワダサンの年賀状を楽しみに待つようになった。

 

食卓の前に座る兄弟。ニキビ面でふて顔のお兄ちゃん。でも真面目そうな高校生に成長している。

 

だけど、ワダサン…もうそろそろ子供達の写真は無理があるのでは。反抗期だもの。明らかに嫌がっているのが分かる。それでもワダサンは白旗をあげなかった。真面目なワダサンの子供写真年賀状は続く。

 

 でも、ここ数年は写真にお兄ちゃんの姿は見られない。断固拒否されているのか、何処かで下宿でもしているのか、弟君だけの年が続いている。 

 

 そして昨年、とうとうそんな弟君の写真も難しくなったようだ。何処かでのスナップ写真を加工したのだろう、なぜか四つん這いの弟くんの写真。こっ、これは苦しい。苦しすぎる。

 

 ワダサンの苦労を思うと、可笑しくて仕方がなかった。そして、嬉しくもあった。やはり、ワダサンだ。ワダサンは変わらずに家族を愛し、生真面目に子供達の写真を撮り続け、とっくに退社した私のような者に年賀状を送ってくれる。

 

そして、私は今年の年賀状も心待ちにしていたのだった。

だけど、今年のワダサンの年賀状はいたってスタンダードかつシンプルなものだった。

 

 謹賀新年
旧年中は大変お世話になり
誠にありがとうございました。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

なんと。つまらない。ワダサンったら、どうしてしまったのだろうか。身体でも悪くしたのか、心境の変化でもあったのか。どうして子供達の写真を諦めてしまったのだろう。

 

心配していたら、夫から情報が入った。

「今年の年賀状は普通になっちゃって悪かったとガンボに言っておいてくれ。」

とのこと。ワダ課長はわざわざ夫を呼び止めてそう言ったそうだ。

 

そんな、そんな。とんでもないです。

それにしても、本当に…わざわざ…そんな。

ワダサンは相変わらずだと思った。元気そうで本当に良かった。

 

 ワダサンの長男さんは今年、就職活動なのだそう。真面目なワダサンは心配でならないらしい。高校生の弟君も元気に頑張っているとのこと。

 

ただ、私はまだ諦めなれない。ワダサンにはまだまだ頑張って欲しい。

私は期待している。ワダサンからオッサンになった息子さん達の写真年賀状が届くことを。