雨のち晴れ

子育て・考えたことやたわいのない日常を綴った日記です

怒りをぶちまけられた時は既読スルーという感覚で乗りきっている

今日も引き続き猛暑。

 

昨日の話。私は、最近認知が進んで、怒りっぽくなっているいるチズさん(仮名)を怒らせてしまった。

 

車椅子が通れないので向こうの席に移動して欲しいとお願いしたら、

「何で私がそんな事を言われなければならないのよ!」

と怒ってしまったのだった。

 

先輩スタッフが来て、一生懸命分かるように説明してくれたけど、時、既に遅し。

「私にばっかりそんな事言っておかしいでしょうよ!」

とますますヒートアップ。

 

結局、

「あんたが話分かんないんだよ。さっさとどけばいいんだよ!」

「訳わかんないこと言ってないでどくんだよ!」

と、チズさんが他の利用者さん達に口々に責めらるという事態を招いてしまった。

 

最終的に、私が、

「ごめんね。私が悪かった。分かりにくい言い方をした私が悪かった。」

と謝り、

「そうでしょ。そうなのよ。それなら私だって…モニョモニョ…」

と機嫌をなおしてくれたのだった。

 

 

そういえば、人から怒りをぶちまけられた時、今の私は若い頃の私とはだいぶ違う。

 

昔は、理不尽な事を言って怒るような嫌な客に対して、内心ムカつきながら「申し訳ごいません」と頭を下げ、その後いつまでもズルズルとやり場のない気持ちを引きずっていたものだ。でも、今回はびっくりするほどストレスがない。

 

っていうか、そもそもチズさんは認知症という病気を患っているわけで、嫌な客と比べるのはおかしいのだけど、他人に怒りをぶちまけらるという点で一緒なので勘弁してほしい。

 

今回の件は私のミスだった。事実、私のコミュニケーションのとり方が下手だったことは否めないし、あらかじめあの席にチズさんを座らせないように促せば良かったのだ。

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普通の人はあまり無い事なのかもしれないけれど、他人から怒りをぶちまけられた時、自分の心の持ちようをどうすればよいのかという事を考える事はとても大事な事ではないかと思う。

 

実は子供にも言っているのだけど、人から怒られた時、その怒りは本当に自分に非があり、反省すべき事なのか、それとも理不尽な怒りをぶちまけられているだけなのかという事を冷静に考えたほうがよいと思う。じゃないと自分の心も体も潰されてしまう。

 

私は夫との生活の中で、常識的にどう考えても訳の分からないこじつけだと思う事や、自分の人生が上手くいかないことからの八つ当たりで他人を怒る人がいるということを知った。

だからって訳でもないが、怒りをぶちまけられた時の心の持ちようについて考えることが多い。

 

もし人から怒られるようなことがあったら、怒られたという現実にビビっているだけではダメ。落ち着いたらでよいから客観的に検証してみて、本当に自分に落ち度があると考えるならば、改善しようと努めればよいだけの話で、落ち込んでいるよりはよほど生産性がある。

それから、言われのない暴言に対しては、きっぱり相手がおかしいのだと考えるべきだ。

 

どちらにしても、こちらが受けたその怒りに対して、ご丁寧につき合う必要はない。

まして、くよくよ考えて、自分は価値のない人間だとか、どうせダメだなんて思ってはいけない。

 

気持ちが消耗し、疲れてしまい、もう自分などどうなってもいいと思うかもしれない。きっと思うだろう。そういう時は休む。とりあえず休んでみてから、どうなってしまってもいい人間などこの世にはいないのだという、当たり前ことを思い出してほしい。

 

既読スルー。読んだけど、丁寧にいちいちつき合わない。その怒りに付き合わない。そんな感覚でよいのではないだろうか。

 

今に至り、私はそんなふうに思っている。