雨のち晴れ

子育て・考えたことやたわいのない日常を綴った日記です

もうすぐ小学校卒業。長男の成長を振り返ってみる~幼児編~

幼児期の子育てで1番悩んだのは長男だと思っている。とにかく、育てにくかった。

まず、1~2歳頃から早起きだった。朝の5時頃、「ママ、あしょぼ!ママあしょぼ!」と起こされ、勘弁してよ~とは思うものの、騒音問題もあり、泣かれたら困るとボーッとしながらレゴやプラレールで一緒に遊んだ。ガチャガチャ音をたてると響くので、春、夏はひっつめ髪の着の身着のままで次男をおぶって公園へ行き、遊ぶ事も多かった。

 

その頃、私は長男が同じ月齢の子供に比べると、明らかに言葉が遅いことを気にしていた。

でもある日、近所の子供と道で遊ばせていると、ゴミ収集車を見て、突然「ごみしゅーしゅーしゃ!」と叫んだので、同じアパートのママと「凄い、凄い、喋ったと思ったらこんな難しい言葉だなんてね!」と喜んだのを覚えている。それまで言える言葉がママ・ミユク(ミルク)・もーちゃんぐらいだったのだが、以来段々と喋れるようになった

乗り物が好きで、電車の絵本をよく買った。電車を見ると目を丸くして「でいーしゃ!」と指差ししていた。懐かしい。

 

風邪をひいて熱を出すとすぐに熱性痙攣を起こした。

またその頃、困っていたのはお昼寝から起きる時のギャン泣きだ。いつも目をさますとギャーギャー海老反りになって泣き、何をしても泣きやまず、もう、お手上げだった。

 

言葉が遅かった事もあり、発達が遅いのではないかと心配したのは3歳位だったと思う。

児童館で週1回、みんなでお遊びタイムのような時間があり、アンパンマン体操やら踊りやらをやる時間があったのだが、参加したがらない。他のお友達には興味を示さず、いくら促しても1人でお気に入りのおもちゃで遊び続けた。

 

こだわりも強く、何か納得がいかずに一度泣き始めると手に負えなかった。

例えば、ある日実家から戻り、駐車場で「はい、着いたよー」と助手席のシートベルトを外してあげたら、自分で外したかったのだと泣かれた。もう一度ばぁばの家に戻って帰り直せと言ってきかない。片道40分を引き返すわけにもいかず、泣き声大音量のまま木造アパートに帰るわけにもいかないので、車でぐるぐる近所を走り、ショッピングセンターの端っこに車を止め、泣き止むまで待った。

 

食べる、寝る、行く、帰るといった基本的なことがなかなか進まず、ちょっと移動するのも大変だった。

私としてはこの頃の子育てが1番辛かった。

正直、なかなか公園から帰りたがらないので、じゃあ、勝手にしてよと公園に置いて帰ったり、反対にヤケクソになり、いつまででも遊ぼう。その代わりお腹すいたと言わないでよ!と暗くなっても公園に居続けた事もある。ホント、通報されないでよかったと思う。

 

こんな調子なので、ああ、この子に幼稚園は無理だなあと思い、1年見送り、年中からの2年保育にした。今となってはこの判断が正しかったか分からない。3年保育のほうが主流だし、入れてしまえば案外平気だったのかもしれない。

 

翌年の幼稚園選びは慎重になった。色々廻ってみて、少し遠いが、バスが来てくれる小さな幼稚園に決めた。

その幼稚園はよく子供に絵を描かせる幼稚園で、絵の具や貼り絵、造形や粘土など、子供達の作品展には目を見張るものがあった。また、砂遊び、泥んこ遊びも盛んに行われているようだった。

それまで、育て方が悪いのではないか、育てにくいのは、他の兄弟に手いっぱいで愛情が足りないせいなのではないかと悩む私は、いろんな育児本を読みあさったのだが、発達障害について書かれた本には出会えなかった。

ただ、当時読んだ本の中で、癇癪持ちの育てにくい子供の心を落ち着かせるのに効果があるとの事で、子供によく絵を描かせたり、水遊びや泥や粘土で遊ばせていたので、長男には合っているのではないかと思ったのだ。

同じ理由でスイミングに通い始めたのもこの頃だ。

この幼稚園との出会いは親子共に大きかったと思う。入園前、園長先生に長男の特性を話すと、なんだ、そんな事。全然大丈夫です。問題ない。と言ってもらえたので、私はホッとする反面、懐疑的だった。行きたくないと泣いて大騒ぎするとか、集団行動が出来ずに先生の手をやかすのだろうと思っていた。

 

幼稚園に通い始めると、私の予想に反して幼稚園に行きたくないと言い出す事は一度もなかった。年少さんからいるお友達の輪に入っていくのは苦手なようだったが、今時の遊具こそないが、様々な植物が植えられ、多様な生き物を飼っている園庭に飽きるはずもなく、1人で楽しんでいるようだった。

先生からのおたよりによると、少し戸惑っているようだが、集団行動にもなんとかついていけているようだった。

 

半年が過ぎ、運動会練習が始まった。どんな様子かこっそり見に行くと、暑い中、みんなで演目のお遊戯の練習をやっていた。児童館での様子からして、踊らずに突っ立っているのを想像したが、皆と列になり、手足を動かし、曲に合わせる姿にびっくりするやら安心するやらだった。

 

年長さんになると、園でも少しずつ小学校の生活に入りやすいよう、色々なお仕事をさせたり、ひらがなや簡単な計算を教えてくれた。自由帳にひらがなを書いて持っていく宿題なるものも出現したが、それも割と苦労なくこなせた。

 

最後のお遊戯会は年長さんが司会を務めるなど、園児一人ひとりに大事な見せ場があり、自信を持って小学校に行けるように配慮した素晴らしいものだった。

長男も園生活を通して出来る事が増えていった。

 

そういえば、酷い癇癪を起こしていつまでもジャンプして泣く事は幼稚園の頃には少なくなっていた。

 

 

実はあの頃の子育てが正しかったのか検証したいと思ってここまで書いてみた。

そして、あ~あ、やっちゃったなあ、間違ったなあと思う事が多い。

でも、親ってなんだろうと考えると、全ての親が理想的な環境で模範的な子育てが出来る訳ではない。子供達の前で言い訳がましく口にするつもりはないが、私だって一生懸命やったのだ。

開き直る訳ではないが、結局、子育てって、間違っているかもしれないけど、親が試行錯誤しながらその時出来ることを精一杯するしかないのではないか思う。

だから、もっと後になって、なんであんな育て方をしたんだろうと後悔しないように、時々振り返って軌道修正しようと思うのだ。