雨のち晴れ

子育て・考えたことやたわいのない日常を綴った日記です

あたしおかあさんだからで思ったこと

 昨夜、一昨夜と遅ればせながら「あたし、おかあさんだから」の歌詞が大炎上だというので、気になって色々な方の感想を延々と読んでしまい、寝不足気味だ。

 

 女性と仕事の問題や子育てに関する問題は、おかれている立場や価値観によって人それぞれ感じ方が違うので、多くの共感を得るのは難しく、デリケートな問題だ。人様は自分とは別の部分で頭にきたりする。その逆もまたしかり。

 

 あの歌詞については、共感出来る人も、不快感を抱く人もいる。言い換えれば、あの歌詞のように母親がいろんなことをガマンして子どもに尽くことを可とする人もいれば、あの歌詞は一定の母親像の押し付け、子育てをしながらも自己実現をしたい、と考える人もいる。

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 最近は頑張っているお母さん像を打ち出すと叩かれる傾向が強いとの印象を受ける。そして、叩かれた側はすぐに謝るなり、引っ込めたりする。

その表現に対して共感をもち受け入れる人もあれば、不快に感じる人がいるのは当然のことだ。また、それに対して自分の考えを自由に発言出来ることはあってよいことだと思う。

 

ただ、 女はこうでなければいけない、母はこうあるべき、ではなく、女性の、母の、多様な生き方を認める世の中であって欲しいのであれば、当事者である私達自身が自分とは違う選択をし、違う考え方をする人を共感しないまでも認めてゆくという姿勢が大事だし、それ無くしては自分達の生き方を窮屈なものにしてしまう。

だからこそ、大の大人が考えて良いと思って一度出したものを、反感を買ったからと簡単に引っ込めたり、謝ったりする必要は無いと思うのだ。

ぼんやりしているうちに、言いたいことも言えない戦前に逆戻りなんて事になってしまったりして!?

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 ところで、私はというと、子供達に手がかからくなりつつある昨今、歌詞に対して多いに共感するということもなかったけれど、特に批判的な気持ちにもならなかった。

子どもを遊ばせながら、母親同士の会話の中で、こんな話をどこかで耳にしたかも…という印象。

 

まあいいではないかと思った。子育てが辛いと泣きたくなる時もあるし、10 分でいいから自分の時間が欲しいと思うこともある。こんなふうに親の気持ちを代弁する歌があって良い…

 

 それから、例えばうちの子がこの歌を聞いて、自分の存在が母親の人生の犠牲になっているのだと思いつめることはないだろうと感じた。例えば、

「ほうら。お母さんがあんたの為に睡眠時間を削って早起きして作ったんだよ。」

と恩着せがましく弁当を渡したところで、うちの息子が、"お母さん、無理をさせてごめんなさい。ありがとう"と涙をこぼしながら弁当を食べることはまずないと思う。"腹減った"、とガッつく姿しか想像できない。時には「ちょっとは感謝しなさいよ!」と言ったとしても、実のところ、こちらもそんなものだと思っている。親にとって子どもの為に何かをしてやることは当たり前の事だと思う。

 

 そもそも子育てとは大なり小なり、親の犠牲がなければ成たたない。子どもが出来て、独身時代と同じライフスタイルを継続できるわけがない。

父だろうが、母だろうが、犬だろうが、鳥だろうが、どんな世界でも親というものは、ある程度自分を犠牲にし、子どもに労力を使い子育てをしている。

 

 だから、親が子どもの為にある程度のことをがまんをしたり、犠牲になる事が特別偉いことでも悲惨なことでもないと私は思う。私、というより、ひと昔前の親は皆そう言っていたものだ。第一、子育ての為に親が365日したい事の全てがまんしなければいけない訳ではない。

 

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 一方で、これが子どもに向けて歌われているという点を考えると、どうしても商売っ気を感じてしまう。

 

 のぶみさんは物凄く売れている絵本作家さんだというけれど、私はこれまで存じあげなかった。もしかしたら子供達は自分で借りてきて読んでいるのかもしれないけれど、私が買ったことはない。

 そして、申し訳ないけれど、もし知っていたとしても、私は子ども達へこの歌や、もっと言えばこの絵本作家さんの絵本は選ばないだろうなと思った。

 

 やはり、小さな子どもには、子どもの為に考えられ、練られた、より良質なものに触れてほしい。そこへ母親への共感や労いを装った売上至上主義的な要素は要らない。

 私としては、 まずは母親の共感を得て親ウケを狙ったもの、うんこドリルしかり、子どもが喜んで飛びつくような、売上至上主義的な商材はどうも気に入らない。

 

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子供を無菌状態で育てたいのとは違う。子どもは次から次へと私が感心しないものに手を付けるけれども、それはもう親が止めようのない流れだと思っている。そんなにその本を読みたいならば、そんなにYouTubeが見たいのならばどうぞどうぞと思う。

 

確かに少子化の時代に子供相手の商売は難しいのかもしれない。小さい子どもに絵本を買うのも、テレビを見せるのも親なのだから、親に媚びる流れも想像できる。売る方も消費者のニーズに応え、よく買われそうなものを作るのだろうから、作り手だけを責めるのはフェアじゃないのかもしれない。

 

それにしてもだ。

このような絵本についてもそうだし、保育所問題や育児のワンオペ問題にしても、子どもが関わる問題について語られる時、そこに子どもの姿はない。

 売上至上主義や悲壮感漂う親の姿ばかりが前面に押し出される。

もちろんそういうことも問題にしなければいけないとは思うけれど、子どもが置き去りにされていると思えてならない。私は母性主義者ではないけれど、さすがにもう少し、しゃがんで子どもの世界に目を向けてもよいのではないかと思う。

 せっかく授かった大事な子どもにとって最善とは何か。私達は子どもをどのように育てたいのかという議論が欠落していると思えて仕方がない。