雨のち晴れ

子育て・考えたことやたわいのない日常を綴った日記です

本当の自分探しの旅

子供の頃、8月のお盆の時期は毎年茨城の母の実家に家族で帰省した。母の兄弟や分家の親戚が集まり、それは賑やかだった。私達子供もいとこ達と久しぶりに会い、そこら辺を走り回って遊ぶのがとても楽しかった。

 
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子供心に、帰省中の母は普段ウチにいる時とはまるで別人だと思っていた。母はウチにいる時は決して話さない茨城弁で、「だっぺよ~、~だへ?」とよく話し、よく笑った。

 

私の祖父は難しい人で、母に対して「田舎の人だからセンスがない、モノを知らない」とよく小言や嫌味を言っていた。だから、ウチでの母は、いつも抜かりのないよう忙しく働き、黙って食事をし、時々こっそり泣いていた。

 

そんな母を見て、幼心に「本当はお母さんは面白い人なんだ。本当はお母さんはウチじゃなくて、ここにいるのが幸せなんだ。」と思ったものだ。

 

そんな母も、祖父が年老い、弱ってくるのと反比例するように勢力を拡大していった。今では本当の母も、母の居場所もすっかり母にとっての嫁ぎ先である私の実家になっているのだと私は思う。

 

 

『 本当の自分』って何だろうと、時々考えるが、今だによく分からない。

 

小学生の頃の自分、中学、高校、大学時代の自分、就職してからの自分、妻である自分、母である自分、一保護者としての自分。全部同じようで違う自分だけど、別に自分を偽っているとは思わない。人はそれぞれの場でそれぞれの役割があるのだから、同じようにはいかないのは仕方ないんでないの?と思う。使い分けて上手く立ち回ろうという訳ではない。

 

時々、「ワタシって〇〇な人なの。だから~ってありえないのよね~」なんて話す人がいるが、私はとてもそんなふうには言いきれない。そんなふうに言い切ってしまった方が自己実現とか自己肯定とかが出来ていて、個性豊かで魅力的な人物なのかもしれないし、周りが合わせてくれるから生きやすいのかもしれない。でも、個人的にはそういうの、あまり好きじゃない。どうでもいい自己主張などしまっておけばよいのにと思ってしまう。

 

 

 昨日、あまりの暑さに、買い物をサボってしまったら何にもないので、今朝、コンビニに朝食用のパンや飲料を買いに行ってきた。給料日まであと3日。ピーンチ。でも、こんな時ありがたいのがクレジットカードだ。

「クレジットカードでお支払いですね?」

「はい。クレジットで。」

支払いながら、…この人、私の事、給料日前でお金がないと思ってんじゃないの?とその通りなんだけど、疑心暗鬼になり、受け取ったレシートを変に確認し、Tポイントを貯めてるんです的な演出を加えるワタシ。

 

やってんなあ。ワタシも。

お金に余裕があると思われたい自分。

 

結局。私にはいろんな自分がいる。

頑張っている妻とか母だとか思われたい自分。

やりくり上手な主婦だと思われたい自分。

いつもキチンとしていると思われたい自分。

 

 

だから、実は身ぐるみ剥がして本当の自分なんてものをさらけ出したら、カスくってヘタレな姿になる。めんどくさがりでだらしのない、見栄っ張り。それが本当の自分。

それでも懲りず「まあ~、いいやあ」と思う、自分には甘い自分。

 

結局、そんなもん。本当の自分なんて実はそんなもんなのだった。

それが分かったのなら、奢らず、謙虚に生きるしかないですな。